マッチングアプリde婚活もどき日記(+女性向け風俗の話など)

タイトルそのままの30代の日々の記録。 コンセプトは「好き勝手」。

02)忘れていたことを思い出した

本日午前、2名の男子とメッセージのやりとりを開始した。

関東の30代、関西の40代の全然別の人なのに、なぜかタイミングがほぼ同時で混乱する。

そして……なんだか早くも

つらい。


「給料の出る仕事以外で他人に気を遣う」のがほんまに嫌いやったことを思い出した。

だいたい同じ京都府在住のAさん(仮)よ、あんたメッセージ1通目で「Aです。よろしくお願いします。」って、

それだけか! 質問くらい付けんか!
こっちが「よろしくお願いします。」って返したらそれで話終わるやん!

こっちが質問せなあかんやんか!
さてはそういう気遣いできひん系か!
10歳近く下の相手に気ィ使わせんなよ人生経験分は先回りしろ!
やりとり1通目にして早くもチョンパ(首切り)の予感!


……と思いつつ、


「よろしくお願いします。どの辺にお住まいですか?」


と返したら、返信が、


「◯◯区に住んでいます。」


……

90年代の少女漫画なら、笑顔で固まっているあの表情。

住んでいます、まる。


——で、会話続ける気ある?

「◯◯区ですか、お近くですね、メッセージだけのやりとり苦手なんで一度お会いしたいですが云々」
と続けるつもりだったが、こういうのと会ってしまったらそれはそれで苦労しそうな予感がこの時点でひしひし。

自分からやりとり始めた以上、相手に気を遣わせるなよ。
男女関係なくだよ。

気持ち的にはもう既にブロックしたいのだが、ここでそれやったら傷ついてしまうのかもしれんな……。
24時間以内になんか言い足して来たら考えてやる。

そしてもう1人のBさん(仮)。
こちらは1通目から長文メッセージ。

しかしよく見ると、こちらのプロフの表面だけを拾って書いている(譲歩表現の後半とか読んでいない)。
テンション高い。初対面相手に「www」を使うとはなかなかやるな。

お写真を見るとぱっちりガッツリ二重まぶた。
私、二重まぶたの人見ると落ち着かへんねんな……。

川端康成の近影とか、あの眼力で、寝室に入って来た泥棒を撃退したこともあるらしいけど、ほんと落ち着かない。

しかし内容はさておいて、一応「言葉」をもらったからには、その労力に報いないわけにはいかんろう。
もらったものをスルーはできない性分。
我ながらまっじめ〜。

また後で返そう。

-----追記
仕事終わりに送ったら、Bさんからすぐ返信が来た。
「こんなにまともな返信もらったの初めてだよ! 感動した!」
という内容……うーわ、面倒かもしれん。(別に彼は何も悪くないが)
-----追記ここまで

-----さらに追記
返信したら、またすぐ返信が来る。
暇つぶしにはなれど、特にときめかない相手とのやりとりは想像以上に苦痛かもしれない。
-----さらに
追記ここまで


話は変わるが、夏目漱石「こころ」に出てくる先生の遺書(の、多くの教科書には載っていない部分)に

「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。」
「私の鼓動が停まった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。」

「私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外(ほか)に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。」
「私は私の過去を善悪ともに他(ひと)の参考に供するつもりです。」

 

といった文がある。(青空文庫より引用)

「自分で自分の心臓を破って」とか、なかなかに鮮烈な表現で好き。百年前の文章だけど全然古くない。
それは漱石をはじめ兼好法師でも清少納言でも、多くの今に残る古典作品に通じることだが。

この話題についてぐだぐだ書いているときの心持ちは、まさにこんな感じである。

詮ずるところ、Twitterのつぶやきやnoteの記事も含めて、形に残る文章というものは全て「他人の参考に供するもの」になる、と考えて差し支えないであろう。

となれば、くだらない愚痴に終始するとはいえ、この文章も残してよかろう——と判断し、しばらくマッチングアプリ日記というか婚活もどき日記、続けてみることにします。

 

(元記事は2021/9/1にnoteに投稿)